No.025 神に反逆した結果② 神から隠れる
- 2020.01.15
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記3章8—10節
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
自分が裸であることを知った男と女は、「いちじくの葉」で自分の体の一部を隠すだけではなく、園の木の間に逃れて、神から全身を隠そうとしました。以後、人は、神から隠れることが習性となります。
人は、神の愛を見失い、神の義に恐怖し、神が下される裁きに怯えます。神から逃げ回る人生の始まりです。神の目を恐れて身を隠す指名手配犯のような生活です。いつも不安で、追う者もないのに、気配に過剰に反応して、逃げ隠れします。自ら「失われた者」になることを選んだとも言えましょう。
この段階では、人はまだ自分の罪を自覚しています。しかし、罪の自覚が薄れると、神の存在を無視するようになります。無視することで、不安や恐れを解消しようとします。神から自分を隠すのではなく、自分から神を隠そうとします。そうして、意識的に、できれば無意識のうち、神を遠くに追いやって見えなくし、忘れてしまうのです。神の声は聞きたくありません。目を閉じ、耳を塞ぎ、心を麻痺させます。神との関わりの拒絶です。自分で自分を神から切り離すのです。現代でいえば、無宗教という「神への無関心」です。あるいは、人生についての思考停止です。
そして遂には、神の存在そのものの否定に行きつきます。神は存在しないということにすれば、罪の意識に苛まれることもなくなります。「神がいなければ、すべてが許される」というドストエフスキーの言葉の通りです。神を恐れることなく、してはならないことも自由に、平気で行えるようになります。越えてはならない神の聖なる領域にも、躊躇なく入り込んでいきます。
こうして、自分を隠す、神から隠れるという行為が、神無視、神否定へと突き進んでいくことになるのです。そして、やがて滅びという実を結びます。それは「サタンの国」の収穫の時です。
それに対し、神は人に呼びかけられます。「あなたはどこにいるのか」。「神の国」から離れて、「サタンの国」に潜伏し始めた人間を、神は捜されます。人間の方は神と向かい合いたくありません。それは恐怖です。神の愛を忘れているからです。しかし、神はいつも人間と愛で向かい合っておられます。
それゆえ、「あなたはどこにいるのか」という神の問いかけにどう応答するかが、とても重要になります。人間にとって、神とのつながりがすべてだからです。そのつながりが断絶したままなら、人間は「死んだ」ままとなります。
神は、そんな人間とのつながりを回復するための道を用意されます。それが御子キリストです。キリストが人となって世に来られ、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)と告げられたのもそれゆえです。
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