No.036 死の継承と神の国の継承
- 2020.02.14
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記5章
これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。……アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。」(1—3、5)
「アダムの歴史の記録」は、カインではなく、セツ、エノシュ、そしてノアへと続く家系、つまり「神の国」の流れを綴っています。人類は、「アダム」を受け継いでいるのです。
アダムの何を受け継いだか。
ここに登場する人々の人生はみな、エノクは別として、「こうして彼は死んだ」で締めくくられていきます。「生んで、生きて、死んだ」の繰り返しです。人類はアダムから、罪の支払う報酬である死を引き継いだのです。どんなに長生きしても、すべての人が死に屈してしまいます。人が何を成し遂げても、死がすべてを飲み込んでいきます。そして、死んで土に帰り、虚無に服したままなら、とりもなおさず「サタンの国」の勝利です。
よく「原罪」という言葉が使われますが、聖書にはない表現です。罪=死は、遺伝子のような物質的なもので受け継がれていくのではありません。罪と死の文化や環境の中で生まれるから、罪人になるのでもありません。罪と死が代々継承されていくのは、アダムがいのちの源である神から切り離された状態になったので、その子孫も同じように神と切り離された状態で生まれてくるからです。つまり、人は生まれた時から例外なく「死んだ」状態なのです。そうして罪=死は、代を重ねて全人類に広がっていきました(ロマ5:12)。
しかし、人はアダムから死だけではなく、神に似た性質、「アダムのかたち」も継承しました。アダムは、「彼に似た、彼のかたちどおりの子」(3)であるセツを生みます。セツもエノシュに、「アダムのかたち」を継がせていきます。人は神に反逆しましたが、神に似た部分を残しているのです。
人が「神のかたち」として、神に愛されていることには変わりありません。
エデンの園を追放されましたが、神に愛されています。
死んだ者になりましたが、生きる道は用意されています。
神とのつながりを断ち切りましたが、そのつながりを回復することはできます。
完全さを失いましたが、神のかたちは残しています。
そして、失った完全な神のかたちを求める心も残しています。それが、罪人となった人間の状態です。人にはなお自由があって、神の国を選べるのです。
キリストは、全人類に広がった罪=死を一身に負われ、罪の力に勝利し、死を滅ぼされました。神の国の到来です。私たちは、アダム以来、屈して来た死の支配から解放されているのです。確かに体は衰えて死を迎えますが、地上に生きている今も、死んだ後も、同じ「神の国」に生きます。
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