No.037 神の国の暮らし

No.037 神の国の暮らし

創世記5章22—24、29、32節
エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。……彼はその子をノア(慰め)と名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」……ノアが五百歳になったとき、ノアはセム、ハム、ヤペテを生んだ。

人間は、アダムの反逆以来、神から切り離され、「死んだ」状態で生まれてきますが、神の国(永遠のいのち)を渇望する心は持ち続けています。

アベルは正しいけにえを捧げることで、セツとエノシュは主の御名で祈ることで、神とのつながりを回復しました。そしてエノクは、神とともに歩むことで、「神の国」に生き続けました。

エノクは365年、神とともに歩み、その歩みが神に喜ばれ、地上の死を体験することなく、神のみもとに移されました(へブル11:5)。エノクの生涯は、地上の「神の国」と天の「神の国」が一つにつながっていることを示しています。この二つの「神の国」の間には、「死」という断絶がないのです。いわば「死が滅ぼされた」状態です(Iコリ15:26)。エノクは信仰によって、キリストの十字架と復活を先取りし、この「神の国」の恵みを受けとっていたと言えましょう。

預言者エリヤもまた、死を体験することなく天に上って行きましたが(Ⅱ列王2:11)、この事例もまた、信仰者にとっては天と地の間に死の断絶がないことを示しています。キリストが復活の体で天に昇られたのも、その保証です。

私たちは地上で肉体の死を体験することにはなりますが、神といのちでつながっているので、ただ地上の「神の国」から天の「神の国」に移されるだけのことなのです。パウロが語る通り、「死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた』としるされている、みことばが実現します」(1コリ15:54)。

ノアもまた、神とともに歩みました(6:9)。親のレメクは呪われた地で労苦しましたが、その同じ時代にあって、ノアは「慰め」を与える者として期待され、そのとおり正しく生き抜きました。そして、大洪水の中でキリストによる救いの型を示しました。罪と死の支配する世にあって、神の支配(神の国)の中を歩み続け、希望を未来に繋いだのです。 

ところで、私は悠久の宇宙では一瞬閃いて消える火花のような存在なのに、創造主は私を知っておられ、私も創造主を知っています。実に不思議なことです。それだけではなく、その方が私と共に歩んでくださいます。そして私も、エノクほどではないにしろ、創造主と共に歩めるのです。それは私には驚くべき恵みです。

創造主のいない宇宙は不気味であり、創造主を知らない人間存在は空虚です。そして、創造主と共に歩まない人生は無意味です。しかし、創造主は確かにおられ、私は創造主と共に歩み、やがて創造主の永遠の世界に移されます。まさに神秘です。私は今、この神秘を生きています。