No.042 ノアの洪水と神の国再興⑤ 神の国の祝福の回復、しかし、変わらない罪の性質
- 2020.03.06
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記8章
わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。(21、22)
ノアが下船して、最初にしたことは、祭壇を築き、きよい家畜と鳥を全焼のいけにえにして、主にささげることでした(20、21)。全焼のいけにえは、人類の罪に対する神の怒りが収まるための宥めの香りでした。主はその香りをかがれ、「もうこの地を呪わない」と心に決められます。そこから神の国の祝福が回復していきます。ひとりの人が全人類を代表して、神とのつながりを再びつないだのです。そして。そのつながりは、息子セムの家系に受け継がれることになります。
ノアが築いた祭壇、捧げたいけにえも、やはりキリストの十字架を指し示す型です。祭壇は十字架であり、いけにえは罪のない聖いキリストの体です。それが神に捧げられたことで、人の罪に対する神の怒りが収まり、罪の支配が崩され、神との関係が回復します。そうして「神の国」が復興し始めることになります。
しかし、洪水で罪の世界が滅び去り、ノアが「神の国」の祝福を受け継いだとはいえ(9:1)、1章の「非常に良かった」という世界が戻ってきたわけではありませんでした。「神のかたち」も回復はしていません。
神は、「人の心の思い計ることは、初め(幼い時)から悪である」とみておられます。『箴言』に、「愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦といっしょについても、その愚かさは彼から離れない」(27:22)とあるように、人類を大洪水に飲み込ませ、その罪を洗い流しても、それぐらいでは罪は人類から離れないのです。洪水前も後も、罪は人の心体に巣食い続け、人の罪の性質は変わりません。
これでは何度、地を滅ぼさなければならないことでしょう。しかし、主はこの地を呪わず、すべての生き物を滅ぼすことはすまい、と心に決められました。忍耐と寛容で、キリストが罪と死に勝利されるときまで待たれます。キリストの聖い血でしか、罪を完全に取り除くのはできないのです。
主はまた、自然界の秩序は以前と変わらず続くようにされました(22)。地は季節ごとに産物を生み出します。これは人類に対する主の憐れみです。
こうして、キリストの時が満ちる日を、慈しみをもって待たれます。その日とは、キリストが「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マル1:15)と宣言して、宣教を開始される日のことです。
神の慈愛が私たちを悔い改めに導きます。私たちが心に刻み込むべきことは、「その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじ」ないことです(ロマ2:4)。
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