No.047 バベルの塔……人間中心主義の系譜
- 2020.03.23
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記11章1-4節
さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
人間の神への反逆は、「あなたは神のようになれる」という「蛇」の誘惑に乗ったことから始まり(3:5)、神を排除した町エノクの建設へと進み(4:16)、そして「われわれの名を挙げよう」というバベルの塔構想にまで来ました。人間は自分の創造者を拒絶し、自分が神のようになり、自分の知恵と力で、自分の栄光を現すという道を突き進んできたのです。
「神の国」が神中心なら、「サタンの国」は人間中心です(サタンは正体を隠します)。
シヌアルの地に定住した人々は、石と粘土の代わりにレンガと瀝青(アスファルト)を用いるようになります。いわば古代の技術革新です。技術革新が起こると、人間は自信過剰、高慢に陥りやすいのです。シヌアルの人々も「一つの言語」において結集し、人間の力を誇示すべく、「頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」と言い出しました。
「バベルの塔」建設とは、人間が神の高みにまで上り、神を引きずり降ろそうという企てです。人間は神なしでも生きていけるし、神の力を借りずとも人間の知性と力で何でもできる、それを示そうとする人類最初の試みです。神礼拝にとって代わり、人間こそが最高の存在であるという人間礼賛の始まりです。
つまり、「バベルの塔」は、人間が人間自身を讃える偶像礼拝の発祥なのです。「バベルの塔」は、当時の人間の知性と科学技術の結晶です。それを天に向けて建て、人間の力をほめたたえようとしたのです。
この「バベルの塔」の理念は、古代ギリシャ思想、14~16世紀のルネッサンス、17、18世紀の啓蒙主義を経て、現代にも引き継がれています。それは、人間を万物の基準とする思考、人間礼賛、人間理性中心主義の思想です。啓蒙時代には、人間は自分の知性と科学の力で、病気や戦争のない理想的な世界を建設できると思い上がりました。現代は神の存在を否定し、相対主義、多元主義という「人間教」を作り上げています。人間自身を礼拝する宗教です。
19世紀、人間は「神を殺した」と宣言し、20世紀に入ると、人間は大量の人殺しを行うようになり、そうして21世紀、今や人間は地球環境をも殺そうとしています。政治・経済も、道徳も、平和構築も自然保護も行き詰まり、社会は漠然たる破局の不安の中にいます。
現代世界は「バベルの塔」の文化が覆っており、私たちの心にも「バベルの塔」が忍び込んできます。無意識に人間中心の発想をし、自分を何者かのように思い、自分の力に信頼してしまうのです。「神の国」の戦いは、「バベルの塔」を廃墟にする戦いです。
-
前の記事
No.046 サタンの国が復興する兆し 2020.03.20
-
次の記事
No.048 バベルの塔……主はサタンの国の企てを阻止された 2020.03.27