No.048 バベルの塔……主はサタンの国の企てを阻止された
- 2020.03.27
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記11章5-9節
「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。(6—9)
シヌアルの地の人々は、人類が一つになれば人間の力で何でもできると思い上がり、「バベルの塔」を人類統合のシンボルとして建てようとしました。しかし、主は、バベルの人々をこのまま放置すれば、何をしでかすかわからないので、言語を混乱させ、人々を地の全面に散らせて、その計画を阻止されました。これが多種の言語、民族の起源です。そして、おそらくこの断絶と分裂が、多くの神々、宗教も生み出したと思われます。
「バベルの塔」はまさに偶像です。人間中心主義の偶像です。
今日、宗教家や神学者たちが、同じような偶像を、宗教統合のシンボルとして作ろうとしています。その偶像とは「絶対的超越神」です。彼らは頭の中で概念的な「超越神」を考え出し、地上のどんな宗教であろうと、キリスト教を含め、結局はこの同じ「超越神」を礼拝しているのだ、だからどの宗教でも救われると主張します。そして、この「超越神」で世界の諸宗教を対話によって和解させ、一つに統合しよう、そうすれば宗教が原因の戦争はなくなるというのです。これを宗教多元主義といいます。
では、「超越神」とは誰か。どこに存在するのか。その「超越神」を生み出した神学者らの頭の中に存在します。「超越神」は彼らの頭の中だけに存在する架空の神です。つまり、神学者らがその架空の「超越神」の代理者となって、世界中の神々を調停するわけです。端的に言えば、神学者という人間自身が神なのです。現代の神学者の「超越神」は、古代の「バベルの塔」の真骨頂です。
ところで、世の人々は、「宗教が戦争の原因になっている、特に一神教は好戦的だ」と主張します。まるで、無神論は戦争を起こさない、神を信じない人は争わない、多神教・無宗教は平和的だ、とでも言うかのようです。でも全人類が神を信じなくなったら、本当に世界は平和になり、人々は道徳的になり、幸せになるのでしょうか。いいえ、20、21世紀の無神論国家や無神論者が、その逆であることを実証しました。では、多神教・無宗教は寛容で平和的なのでしょうか。いいえ、20、21世紀の多神教国家や国民が、その逆であることを実証しています。
本当は、人々が聖書の唯一神を本気で信じ、忠実に従うなら、争いは止むのです。「敵を愛し、敵のために祈れ」「復讐するな」が聖書の教えなのですから。実際は、聖書の神を拒絶しているから、争いや戦争が起こるのです。カインが証明したように、神を拒絶することが殺人を引き起こします。人々が思い込んでいるのとは逆なのです。
人間中心主義は「バベルの塔」を建て上げます。人間が頭の中で作り上げる神は偶像です。行いのない抽象化的な愛、言葉だけの信仰は偶像礼拝です。「神の国はことばにはなく、力にあるのです」(Iコリ4:20)。
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