No.049 バベルの塔事件後……神の国の胎動
- 2020.03.30
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記11章10~32節
これはセムの歴史である。(10)……これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。……サライは不妊の女で、子どもがなかった。テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデア人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまできて、そこに住みついた。(27、30、31)
環境に適応できず、個体数を減らし、種を維持できなくなっている生物を「絶滅危惧種」と言いますが、無神論者からすると、神を信じる人々は「絶滅予定種」なのだそうです。200年前の科学者や思想家も同じようなことを言っていましたが、いまだにクリスチャンだけでも、十数人憶生き残っています。しかし、たとえ唯一なる神を信じる者が一人になったとしても、いや、ゼロになったとしても、主は「残りの者」から信仰者の家を興されます。セツ、エノシュ、エノク、ノアがそうでした。そして、セムの流れからアブラハムが出てくるのです。
さて、バベルには塔の廃墟だけが残りました。その廃墟は、人間の企ては徒労であり、人間の営みは虚無であることを物語ります。それでも、人間の「バベルの塔」建設は、時代時代、手を変え品を変えて、継続されていきます。そして、様々な「偶像礼拝」が登場することになります。
ある無神論者が、「人間は、人間に似せて、人間のかたちに、神々を作った」と述べています。創世記1章26節のもじり、神の創造への揶揄です。しかし、これは言い得て妙です。というのも、実際に人間は自らの「等身大」の神々を造り、それを拝んできたからです。無神論者もそうです。自分の作った「等身大」の思想を拝んでいるだけです。
セムの流れも、テラの代まで来ると、さすがに信仰は継承されず、偶像礼拝の文化に染まり、「他の神々に仕えて」います(ヨシ24:2)。もはや地上には、唯一真の神をはっきりと知る者はいなくなったようです。しかし、それでもセムの受けた祝福は連綿と受け継がれており、テラの一族がカルデヤ人のウルを出て、「約束の地」となるカナンに向かって移住しようとするのです。テラ自身は、カランまで来てそこに住み着いてしまいましたが、そのカランから、息子アブラムがカナンに旅立つことになります。主の恵みによって、神の国の新たな胎動が始まります。祝福の回復です。
主の恵みと祝福は信仰に先立つ。これが神の国の原則です。アダムの反逆以降、主の恵みが信仰に先行します。主が結ばれる諸契約はすべて、恵みによって主の祝福が注がれるという内容です。でなければ、神の計画は始まらないのです。人間の信仰が先に来て、主の祝福が始まるのではありません。祝福を信仰で受け取る人物が現れたとき、主の計画は進んでいくのです。
それゆえ、「神を信ぜよ」と説得するのではなく、まず「神の祝福があなたにもある」と伝えるほうがまさっています。
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