はじめに(後半)
- 2020.02.26
- アブラハムの子供たち
なぜヘブライ・ルーツを知るべきか
キリスト教は豊かなヘブライの遺産を受け継いでいますが、ほとんどのクリスチャンがそれに気づいていません。『ガラテヤ人への手紙』には、ユダヤ人ではなくてもメシヤを受け入れた者は「信仰によるアブラハムの子孫」であるとあります。つまり、神がアブラハムと結ばれた契約に、私たちクリスチャンも入れられているのです。何千年にも及ぶ聖書の歴史、イエスの教えとその歴史的背景、ヘブル語の深みと美しさ、契約の民イスラエルの重要性…これらすべては、メシヤ信仰によって、神のオリーブの木に接ぎ木された私たちが受け継いだ遺産です。それだけでなく、多様なヘブライ遺産を理解することで、クリスチャンとしての経験は広がり、豊かなものになります。信仰が深まり、神とのつながりが強くなります。しかし、この「家族の遺産」を追究するクリスチャンは、まだまだ多くないのが現状です。
ユダヤ人は2000年以上離散したことで、豊かな知恵を手に入れ、神の心を悟りました。その大部分はイエスの教えと同じです。しかし、それを聞いたことのあるクリスチャンはほとんどいません。まして、それを知ろうとしたクリスチャンはいないに等しかったのです。
このプログラムの目的は、すべての世代のクリスチャンが、この「遺産」を受け継いでいることを理解し、またそう告白できるようになることです。その「遺産」を正しく理解することはとても重要です。理解すると、クリスチャンとしての喜びが新たにされ、ユダヤ人と正しい関係を結びたいと心から願うようになるはずです。それはまた、私たちの子供たちへと受け継がせるべき素晴らしい遺産でもあるのです。
教育―へブライ的な方法―
今日の社会構造は、ギリシャ・ローマ文化を土台にしているといって過言ではありません。特に教育システムは、ギリシャ・ローマの強い影響を受けています。しかし聖書は、それとは全く異なる世界観に立つヘブル人を通して、私たちに伝えられました。ギリシャ人の考え方とヘブル人の考え方は非常に異なり、教育においてその違いはとてもはっきりしています。ギリシャの考え方では、事実を知ることが大切です。生徒は知識を獲得するために勉強します。それゆえ、情報の収集と内容の理解が、生徒の成功の尺度となります。
しかしながら、ヘブル人は、知識の獲得や「頭を良くする」ことを勉学の目的にはしません。へブル人は「賢くなる」ことを目指します。学んだことが生き方にどう影響するかを重視します。つまり、生き方を変えるために学ぶのです。勉学において最も大切なことは、従順を身につけることです。
ヘブライ的方法で人を教えれば、大きな変化が起こります。教師は単に情報を伝える人ではなく、神と人の間の生きたつなぎ目になります。教師の力量は、事実を伝達できるか、教えるべき内容をすべて網羅できるかでは、測られません。教師の仕事は生徒の勉学を励ますことであり、力量はどれだけ生徒に影響を与えられたかで測られます。
ヘブル語で「教える」は「ラーマド」といいますが、それは「学ばせる」という意味です。「駆り立てるもの」とか「学ぶ動機」を意味する古代の語がもとになっています。しかし、面白いことに、「ラーマド」には「学ぶ」という意味もあるのです。ヘブル語文法の研究によると、「ラーマド」は、教師が生徒のために「熱心になり自分を忙しくさせる」ということです。それゆえ聖書的には、教師は学ばせる人であり、同時に自分自身も従順に学ぶのです。その二つが密接につながっているので、同じ言葉で表記されるのです。
教えること―ヘブライ的方法―
教師が生徒に教えるために「熱心になり自分を忙しくさせる」とは、具体的にどうすることか。次に挙げることを実践するなら、クラスは楽しくわくわくすることでしょう。
- まず、とにかく祈ってください。あなたの成功は、神にとってとても大切なことであり、神はそのために必要なものをすべて備えてくださいます。教える自分、クラス、学びの内容、生徒のために祈ってください……そして、神の声に耳を傾ける時間を、忘れずに取ってください。神はあなたを導きたいと願っておられますから、聞く姿勢は重要です。
- 生徒を愛してください。これは、愛をヘブライ的に理解しない限り、高いハードルとなります。たいていの人にとって、愛とは感情であり、「何か温かいあいまいなもの」であり、何か惹きつけるものです。でも、生徒の中には、あまり愛情を感じにくい子もいます。しかし、ヘブル人にとって愛とは行動です。それは、相手の幸福のため自分を捧げることであり、感情的な愛とは無関係です。生徒を知り、生徒ひとりひとりが最善の姿になっていくことを目指して、自分を捧げてください。
- 自分をしもべだと考えてください。あなたは生徒に学ばせ、生徒を愛するためにそこにいるのです。必要を満たすためにいるのです。クラスの最初から最後まで、生徒が自分の必要を満たす発言ができるようにしてください。意見を言わせ、学びの内容が自分にどう関わってくるかを、考えさせてください。時間や労力を惜しまないでください。そうすれば、生徒はあなたと一緒に、熱心に学びたいと思うようになります。
- 愛するには、規律が大事です。愛を自由放任と混同すると、絶対に学ぶことは成り立ちません。生徒がみな理解しやすい端的なルールを作ってください。そのルールを無視したらどんな結果になるのか、はっきり伝えてください。そして、一貫した態度を取ってください。石の板の模様の紙に、「私たちは……します」「私たちは……しません」「もし無視したら……」と書いて貼っておけば効果的です。クラスが始まるとき、毎回一通り唱和しください。そして、ヘブライ語の愛の意味を思い出してください。生徒にとって最善なのは、落ち着いていて安心できるクラス環境です。
- 教える人は、自分の才能や賜物をあるがままに用いてください。魅力的に教えることを遠慮する必要はありません。自分を吟味し(友だちや家族にも尋ねて)、自分にどんな才能や賜物があるか知ってください。話は下手だけど歌はうまいといういう人は、話の時間を短くして、教えるのに役立つ歌を見つけてください。絵を描くのは好きだけど歌は今一つという人は、歌を短くし、絵を描く時間をとり入れてください。あなたの長所に合わせて教え、強みを生かし、弱い所には力を割かないようにするのです。
- 生徒のレベルに合わせて対話し、情熱を持って語りかけてください。大切なことが生徒の心に残るように話してください。「貪ってはならない」の意味することは、高校生か小学4年生かで、まったく違います。どうすれば内容が生徒のレベルに合ったものになるか、よく考えてください。あなたの情熱が学びを楽しいものにします。
- 生徒に一方的に話すのではなく、生徒が興味を持ち、答えたくてたまらなくなるような質問を投げかけてください。イエスは少年時代、シナゴーグの学校に行き、当時のラビの教え方で習ったようです。ラビの教え方は、決して講義調ではありませんでした。生徒を対話で引き付け、時には議論しました。質問を投げかけることで教えたのです。生徒の考えに興味を示し、意見を言うチャンスを与えてください。自分ならどう考え、感じ、どうとらえるか、同じことが起きたらどうするかを尋ね、生徒の答えに耳を傾けてください。
- 学びの助けとなるものを、たくさん用いてください。例話、音楽、絵、グラフ、劇……動画、音、におい、そして触れるものをたくさん用意するのです。あなたは「良きサマリヤ人」の話を覚えておられるでしょう。イエスは例話で真理を伝えるなど、非常に効果的な方法で教えました。弟子の足を洗い、朝食を作られたことを思い出してください。イエスは五感を通して、大切なことがらを悟らせ、記憶に残るようにされたのです。
- 生徒を認め、ほめてください。生徒を注意深く観察し、良い所を見つけてください。言葉でも、行動や作品でも、良い点を評価し、励ましてください。あなたがほめてあげたいことをその子の目を見て伝え、どう感じたかを具体的に話してあげてください。例えば、「ともこちゃん、あなたが…したのを見たよ。それで私は…と感じたの。本当にありがとう!」といったように。また、メモや小さなギフト、メールなどで、生徒の良いところを見て感謝していることを伝えてみてください。
- ガラテヤ6章9節を暗唱してください。「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」。そして、ピリピ4章13節を忘れないでください。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」。
物語を語るには―「語り部」の役割
昔から、どの民族にも「語り部」がいて、聴衆の注目を集めました。語り部は、物語の背景を鮮やかに表現し、民族の心を世代から世代へと伝えていきました。彼らは、同じ信仰、同じ歴史、同じ未来を人々と共有し、人々を一つにまとめていきました。
歴史上の有名な語り部には、アブラハム、モーセ、イエス、そしてパウロがいます。聖書の歴史や詩歌や預言は人々に語られ、世代から世代へと受け継がれました。ユダヤ教のラビは今日も、先祖たちのやり方に倣い、教える手段としての「語り」を大切にしています。
この教材には、教会や教室で教えるために必要な情報がたくさん載っています。全体で24のステーションがあります。ステーションの数を減らしてもかまいません。各ステーションは20分から24分で終えるようになっていますが、全体を把握した上で、扱う箇所をきちんと選択すれば長くも短くもできます。メッセージを伝えるのに、一番良い部分を選んでください。思い出してください。「ヘブライ・スタイル」の教師が主眼に置くべきことは、すべての題材を扱うことではなく、生徒に変化を与えることです。
いずれにせよ、「語り」を始めるとき、「語り部」になりきってください。面白く、わくわくするように、対話しながら話をしてください。聞き手の興味をそそるために、体を大きく動かしたり、声に変化をつけたりして、いろいろ工夫をしてください。質問を投げかけて、生徒を巻き込んでください。可能なら視覚的に役立つものを使ってください。照明を調整して場面の雰囲気を出したり、雷、トランペット、ハープの優しい音などを流したりして、臨場感を出してください。とにかく楽しんでください。あなたは今や、語り部です。自分は、有名な劇団の団員だと思って、演じてください。
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